高須克弥院長の事実婚の相手である西原理恵子さんが、「サイバラ茸. 5」を発売しました。
今回はそんな西原理恵子さんについて紹介します。
いま「ダーリンは73歳」をお渡ししました! https://t.co/kV6iYDCRZ9 pic.twitter.com/8F0R2sOh0W
— 八巻和弘 (@yamakikazuhiro) January 19, 2019
高須克弥院長の嫁(妻)は西原理恵子さんプロフィール
(引用:https://dot.asahi.com/dot/2018011800066.html)
名前:西原理恵子さん(さいばら りえこ)
生年月日: 1964年11月1日
出身地: 高知県高知市
配偶者: 鴨志田穣 (1996年-2003年)、高須克弥(2012年-事実婚)
学歴: 武蔵野美術大学
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/西原理恵子さん)
西原理恵子さんのお母さんは西原理恵子さんを妊娠中に実父と別居していましたが、その後、西原理恵子さんが7歳の時にお母さんが再婚します。
なんと西原理恵子さん新しい父はギャンブル好きでした!西原理恵子さんにはやさしく家庭も比較的裕福でした。
実父は、アルコール中毒で西原理恵子さんが幼い時に亡くなります。
そして西原理恵子さん自身は、私立土佐女子高等学校に入学するも飲酒で退学となります。
その後、大学入学資格検定合格し武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を受験しますが、受験前日に義父がギャンブルの借金を苦に自殺します。
それでもお母さんが、入学資金をかき集め、西原理恵子さんは大学に通うことが出来ました。
大学在学中は、飲食店の皿洗いやホステスのアルバイトで学費を稼ぎます。
大学在学中の1988年に、小学館のヤングサンデーに掲載された「ちくろ幼稚園」で漫画家デビューを果たします。
高須克弥院長の嫁(妻)は西原理恵子の経歴は?!
西原理恵子さんは、漫画家デビューした後、パチンコ雑誌や麻雀雑誌での連載を持ちます。
1996年に旅行体験ルポ漫画「鳥頭紀行」のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行して知り合った戦場カメラマンの鴨志田穣さんと結婚します。
1男1女に恵まれますが、鴨志田穣さんのDVとアルコール依存症が原因で2003年に離婚します。
この結婚生活の晩年の2002年から毎日新聞で連載された「毎日かあさん」が大ヒットし2004年には第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2005年には手塚治虫文化賞(短編マンガ部門)、2011年には第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞し、連載は2017年まで14年9ケ月続きます。
(引用:https://tsubasabunko.jp/product/201012000143.html)
鴨志田穣さんとは2006年に復縁(事実婚)しますがその時に鴨志田穣さんは既に末期の腎癌で2007年に他界します。
ここまでの一連の様子は鴨志田穣さんの自伝的小説「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」に納められており、
この小説は2010年には浅野忠信さん、永作博美さん主演で映画化されました。
(引用:https://www.amazon.co.jp/酔いがさめたら、うちに帰ろう。-DVD-浅野忠信/dp/B004OR0GYU)
高須克弥院長と西原理恵子さんの馴れ初めは?!
西原理恵子さんと2012年に事実婚となった、高須克弥院長との初めての出会いは、事実婚からさかのぼる事10年以上前になります。
西原理恵子さんが、新潮社の雑誌にて「下品な高須克弥と友達になりたい」と書いたのがきっかけです。
その際に高須克弥院長が、西原理恵子さんにファンレター(FAX)を出した為、二人は出会う事となります。
西原理恵子さんが漫画の企画でスポンサーを募集し、高須クリニックに乗り込んだ際に高須克弥院長が札束を積み上げて出迎えた事で、二人の価値観は急接近します。
西原理恵子さんの前夫である鴨志田穣さんとの再婚を後押ししたのも高須克弥院長です。
高須克弥院長は鴨志田穣さんの最後を西原理恵子さんに看取らせ、自身は喪主も務めあげました。
そして、高須克弥院長も2010年に妻を亡くし喪失感に苛まれ、出家するほどに落ち込みます。
そんな高須克弥院長を支えたのが、他でもない西原理恵子さんでした。
二人は、2012年の「女性セブン」の対談で、「交際」していた事を公表し事実婚の関係であると発表しました。
(引用:https://news.goo.ne.jp/article/postseven/entertainment/postseven-399348.html)
高須克弥院長の前妻の死因は?!
高須克弥院長の前妻であるシヅさんは、高須克弥院長とは昭和大学医学部時代の同級生です。
シヅさん自身も産婦人科医・美容外科医として活躍し、日本で初めて肌の若返り手術「ハードケミカルピール」の実験で成功をおさめています。
その時の被験者が夫の高須克弥院長でした。
しかし、2010年3月29日に転移性肺癌により亡くなられます。シヅさんの死後、高須克弥院長はシヅさんを偲んで毎年命日に「高須シヅ記念杯」という競馬を名古屋競馬場で開催しています。
今日、3月29日は妻、高須シヅの命日。毎年、名古屋競馬場で高須シヅ杯レースが開催されるんだが、今年は自宅で妻と過ごすことにした。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) March 28, 2020
こちらも色々忙しくてね。ごめんね。もうすぐ本当に会えるよ。待っててね。なう。 pic.twitter.com/xHcTN6ZX4m