2017年8月12日(土) 22時00分~からに放映予定のSWITCHインタビュー達人達(たち)に出演する野村達雄さん、ポケモンGOの開発者で私達が普段良く使っているGoogle Mapの開発者で、今現在、米国で活躍のエンジニア、普段どのようにしてこの仕事にたどり着いたのか?野村達雄さんについて、調査してみたいと思います。
2016年7月に発売されて以来、世界を熱狂させているポケモンGO、みなさんはプレイされていますか。
いまさら説明するまでもないですが、ポケモンGoとは、ナイアンティックという会社と株式会社ポケモンが共同で開発したスマートフォン向けのゲームアプリのことですよね。
そのナイアンティックという会社で、ポケモンGOの開発を指揮したのが野村達雄さん。
「ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる」という本を出されました。
この野村達雄さんに今回は注目してみたいと思います。
この方、なかなかおもしろい経歴をお持ちのようです。皆さんとシェアしたいと思います。
野村達雄さんのプロフィール
引用: logmi http://logmi.jp/172025
生年月日: 1986年
出身地: 中国黒竜江省生まれ、長野県長野市出身、米国在住
国籍: 中国残留日本人3世
出身校: 信州大学工学部情報工学科
東京工業大学大学院情報理工学研究科修士課程
職業: 2011〜2015 googleエンジニア(googleマップの開発)
2015〜 ナイアンティック ゲームクリエイター(ポケモンGOの開発)
家族:両親と姉4人
野村達雄さんさんの生い立ち
おばあさまが中国残留日本人という野村達雄さん。なのでご自身は中国残留日本人3世ということになります。
中国では石磊という名前だったそうです。シーレイと読むらしいですね。
9歳までを中国で過ごされたそうなのですが、その生活は極貧だったと言います。
出身の中国黒竜江省というところは中国の一番北、ロシアとの国境の省です。旧満州といったほうが分かりよいかもしれません。
冬は平均マイナス30°というような土地です。
そこでご両親は豆腐の行商をしていたそうなのです。行商。この言葉を最近の若い方はご存知でしょうか。
現在の日本でもお豆腐屋さんや物干竿屋さんなんかは商品を携えて呼ばわりながら売っていますが、あの小売りスタイルのことですよね。
冬場なんかは豆腐も凍ってしまいそうな土地での行商で、7人家族が食べていこうと思ったらそれはそれは大変だったと思います。
野村達雄さんが9歳の時に、より良い生活を求め親戚を頼って長野県へ一家で移住します。
はじめは中国語しか話せない状態での日本での生活だったと言います。
日本に来るにあたって、名字をおばあさんの旧姓だった野村に、名前を教科書からとった達雄に改めました。
そして小学校の頃から新聞配達のアルバイトをして中学1年の時に自分でパソコンを買ったそうで、そこからプログラミングをなんと独学で習得したそうなのです。
このエピソードひとつとっても、野村達雄さんの「目の前の事に本気で取り組むこと」というライフスタイルがうかがえますね。
貧乏をなげくより、自分がしたい事をどうやったら実現できるかに注力するという野村達雄さんのような生き方は、そうすればいいと分かっていてもなかなかできることではないですよね。
野村達雄さんさんのポケモンとの出会い
そんな野村達雄さんがポケモンにはまったのは小学校4年生のときだそうです。
ゲームボーイでポケモンの赤、緑が発売されたのです。
私には野村達雄さんより2歳下の弟がいて、たしか弟も小学生の時にポケモンにドハマりしていた記憶があります。
ポケモン世代という言葉があったくらい、あの世代の子供たちを魅了しましたよね。
アニメも人気だったのですが、あの世代はみんなゲームに夢中になってたように記憶しています。
どの家も同じだと思いますが、家にも兄弟姉妹の友達がしょっちゅう集まって、みんなでゲームをしていたような、そんな世代ですね。
そのせいかどうかはわかりませんが、今30歳以上の世代でも休日は1日中ゲームをしていると言うライフスタイルは特に驚くことでもなく、巷にあふれ、いわゆるネットお宅、ゲームお宅が定着したのもこの世代が20代を超えるころから、そんな言葉がブームとなったように思えます。
同じゲーム好きでも、ユーザー目線からプログラマー目線へ興味の対象が移るのはその人のもつ好奇心のベクトルの違いでしょう。
野村達雄さんはそのまま大学、大学院と情報工学の道を進まれました。
野村達雄さんさんの経歴 Google japan入社〜ナイアンティック
大学在学中にgoogleでインターンをしたことがきっかけで卒業後google japanに入社したそうです。
このgoogleでのインターンですが、毎年約300万の希望する人に対して、インターンとして採用されるのは全体の0.5%といいます。
Googleでインターンを経験している事自体ものすごいことなのです。
さらにいえば、そんな一握りのインターンの中で本採用されるのはさらに一握りの方なので、野村達雄さんは2011年にgoogle japan 入社、そして2013年米国本社に引き抜かれ、コンピューターを扱う仕事の最高峰を経験された方なんです。
そのgoogleという会社、おもしろい社風で有名ですよね。
社内にあるフードコートの食べ物や飲み物が全部無料とか、よいアイデアが浮かぶために昼寝マシーンが置いてあったり、ジムが使い放題だったり。
ノートパソコンなんかも無料でうけとれるらしいですよ。
そんな社風のひとつで、エイプリルフールにジョーク企画をするというものがあるらしく、2014年のこの企画で野村達雄さんは「ポケモンチャレンジ」というのをやったそうなのです。
Googleと株式会社ポケモンと任天堂がコラボして、野村達雄さんが開発したこの「ポケモンチャレンジ」が後のポケモンGOの原案となりました。
野村達雄さんはポケモンGOを開発するにあたって、googleから社内ベンチャーのNiantic Labsに所属し、より自由な開発を求めてナイアンティックとして独立した時に、同時に野村達雄さんもそちらに移ってポケモンGOの指揮をとられたということです。
引用:ポケモンGO開発者 多様性が育てた夢語る 日本経済新聞 by YouTube
引用: ポケモンGOのような成功は今後も 開発指揮した野村達雄さん BBC News Japan by YouTube
野村達雄さんさんの年収
米Gooogleでの初任給は1500万以上といいます。
さらに成績によってプラスがあるようなので、野村達雄さんのような活躍をしていれば年収はもっとあると考えて良いでしょう。
そして現在はgoogleから独立したナイアンティックでのマネージャーという立場です。
野村達雄さんの功績から考えると年収2000万以上は軽くあるのではないでしょうか。
豆腐の行商をして暮らしを支えてくれたご両親に、これ以上ないってくらいの孝行ができる額ですよね。
すばらしいです。
こどもを持った現在、どうしても親目線になってしましますが、どうやったらこんな風なこどもが育つんだろうと考えてしまいます。
きっと、どんなことであれ、夢中になっていることを応援して上げることが一番大切なんでしょうね。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。