イラストSNS「pixiv」を運営するピクシブ(pixiv)社の現社長の永田寛哲氏が、『虹のコンキスタドール』の元アイドルメンバーに提訴されてSNSを騒がせています。
さて、あまり知られていない、ピクシブ(pixiv)社の現社長の永田寛哲氏とはどんな方なのでしょうか?
経歴や年収、結婚相手も気になりますね!調べてみました。
永田寛哲さんプロフィール
生誕 1979年1月25日
日本の旗 日本 香川県観音寺市
出身校 開成高等学校卒業
職業 ピクシブ株式会社代表取締役社長
株式会社ユービック代表取締役
ディアステージ取締役
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/永田寛哲
永田寛哲さんの経歴
永田寛哲さんの父親は歯科医師ということで、比較的に裕福な家庭環境だったようですね。
しかし、父親の仕事の都合で永田寛哲さんの幼少時代は引っ越しが続いて、子供ながらになかなか大変だったよです。
永田寛哲さんは、1991年、スポーツで良く知られている剛健の開成中学校に入学。将来のpixivでのパートナーとなる青木俊介さんと出会います。
1997年、開成高等学校を卒業後、永田寛哲さんは父親と同じ、歯科医を目指し東京医科歯科大学歯学部に入学します。
その頃には在学中でしたが、熱狂的なモーニング娘。のファンとなり「モーヲタ」(モーニング娘。のオタク)として永田寛哲さんのアイドル追っかけ時代が始まります。
モーニング娘と言えば、一昔前ではりますが、一斉を風靡した秋元康さんのプロデュースで、この頃から少女達の団体ユニットがブームとなりました。
この時代にアイドルユニットの女の子達がもてはやされ、男性の追っかけが多く、爆発的に売れたのは確かですね。
永田寛哲さんもそんな時代にアイドルに夢を馳せて育った一人には違いありませんね。
永田寛哲さんはフリーの編集者として活躍、小板橋英一の別名(ライター名)を持っています。
フリーライターとして活動してからは、大学を休学してライター活動へ。
その後はメディアプロダクションを立ち上げ、その名をユービックとして2006年に法人化。
永田寛哲さんはユービックの取締役として就任します。
ビジネスも順調で、翌年の2007年1月、には、永田寛哲さんはクルーク株式会社(現ピクシブ/pixiv株式会社)も立ち上げ、取締役副社長として就任します。
クルーク株式会社(現ピクシブ/pixiv株式会社)では、2014年にサウンドプロデューサーの福嶋麻衣子(もふくちゃん)を迎え「つくドル!」プロジェクトというアイドルグループを売り出すプロジェクトを立ち上げます。
そして、このプロジェクトから生まれたのが、「虹のコンキスタドール」で女性だけのユニットです。
永田寛哲さんはこの「虹のコンキスタドール」の総合プロデューサーを務めていました。
永田寛哲(pixiv社長)の結婚した嫁や家族は?
永田寛哲さん、実はまだ39歳なんですね。 顔がわりと落ち着いているのでもっといってるのかと思いましたが・・・・・以外と若い!!びっくり!!
経歴からもわかるように昔は父親と同じ歯科医を目指していたので、そこそこに頭も良かったのだと思いますし、普通に考えてみれば、学生時代に企業しているので、経済的にも裕福層になりますね。
そんな永田寛哲さんは結婚しているのでしょうか?
調べた所、結婚しているようです。気になる嫁(妻)ですが、公式には発表になってはいませんので、一般人だと思うのです。
今回、あるセクハラ騒動でも、永田寛哲さんのご家族が・・・・という発言をしていますので、ご家族がいることは確かなようです。
永田寛哲さんは、もともとアイドル好きで目が肥えていると思いますので、きっと美人でアイドルなみに美しいお嫁さんでしょうね!
永田寛哲(pixiv社長)が虹コンアイドルをプロデュースした理由は?
では、何故、永田寛哲さんが社長を務めるpixivという会社はイラストの投稿サイトのコンテンツの会社だったのに、何故アイドルを育てることになったのでしょうか?そして、虹コンアイドル『虹のコンキスタドール』との関係が気になりますね~?
引用:https://hbol.jp/55510/spa1507-4192
何故、永田寛哲さんはアイドルを育てる=プロデュースするようになったのかは?さまざまな理由があるようです。
まずは、イラストなどで思いつくのがアニメ、漫画などのイラストですね。最近ではアニメコスチュームでもわかると思いますが、日本のアニメや漫画の展示会、エキスポが海外でかなり活発化しています。
もう、本当に日本のアニメのキャクターやそのコスチュームは海外では市民権を得て、堂々1つの文化となっているのですが、永田寛哲さんは自分が立ち上げたイラストの投稿サイトpixivがその海外でのアニメ文化と比べるとかなりイメージがかけ離れて、海外との接点を考える時、程遠く感じたとのことです。
そこで、アニメのコスチュームでわかるように、アイドルを育てて、AKBや乃木坂46のように、1つのブームを作れば、自分の会社のアイドルカルチャーが大きく育てば、それはそれで海外のアニメカルチャーにも受け入れてもらえるだけになると見込んだようです。
ここは、なんとなく学生時代からアイドルの追っかけをしていた永田寛哲さんですから、何か自分の中でずーと抱えてきたものをアニメカルチャーと絡めたかったんでしょうね。ただのイラスト会社に終わらせたくない!そんな思いがあったのだと思います。
虹コンアイドルとの関係が話題!
「虹のコンキスタドール」ピクシブ社社長の永田寛哲さんとの関係について、社長とその会社に所属するアイドルグループという関係ではあったのですが・・・・。
実は虹のコンキスタドールで活躍していた元メンバーの女性Aさんが、永田寛哲さんとピクシブ社の子会社であるタレント事務所、ピクシブプロダクション社とディアステージ社に対して、永田寛哲さんのセクハラ行為を訴訟を提起して、過損害賠償を求めることが判明。
ただ、このセクハラについては、今現在でなく、2015年当時、Aさんが「虹のコンキスタドール」として活躍していた当時に起こったことのようです。
以下、とてもデリカシーが問われる問題なので、ニュース記事を抜粋いたします。
裁判で争われているポイントは訴状によると、Aさんは以下の3つのセクハラがあったと訴えている。
・京都旅行に強引に同行し、同じ宿の同じ部屋に泊まることを強要した
・アルバイトとして、全身をマッサージさせた
・脱衣所で盗撮行為をした
永田氏側の代理人は5月7日の第一回口頭弁論で「京都旅行に同行し、隣で就寝」と「マッサージ」については認めた。一方、「脱衣所での盗撮」については、一部事実と違うと主張している。Aさんが語ったセクハラ被害BuzzFeed NewsはAさんに話を聞いた。以下がその内容だ。
●京都での宿泊
Aさんは2015年4月頃からグループ脱退を考え始めていた。同年12月、永田氏に「京都に1人で旅行して息抜きをしたい」と申し出た。永田氏は「一人旅はダメだけど、僕が付き添いで行くならいいよ」と言ったという。当時、Aさんは未成年だった。
「『なんで?』とは思いましたが、一人旅は許可してもらえないし、付き添いって言っても私が行きたいところに同行するだけだと思いましたし、それよりも、反抗したら逆上されると思い、なにも言えませんでした。永田さんの怖い面も見てきたので」
新幹線と旅館は永田氏が手配した。京都に到着し、永田氏がレンタカーを運転して観光した。その後、高級旅館についた。
「旅館に着いたら、相部屋だったんです。部屋では、くっつけた状態で布団が用意されて。『えっ』と思ったけど、永田さんに生活や仕事で依存している状態だったので、今さら別の部屋にしてくださいとは言えなかったです。襲われることはありませんでしたが、息抜きどころか気持ち悪かったです」
●マッサージの強要
当時、虹コンの活動費補助は月3万円ほどで、給料は無いに等しかったという。アイドルを目指すことを許してくれた親に迷惑はかけられないとAさんは金銭の相談をしなかった。会社からバイトは禁止されていた。
Aさんは永田氏に「アルバイトをしたい」と申し出たが、叱責され、許可されなかったという。
「『マッサージをしたらバイト代をあげる』と言われ、しました。すごく怒られた後だったので、怖くてとても断れませんでした。そうしたら永田さんが『これをバイトにしよう』と言ってきました」
「嫌でしたが、お金がなくて、親に負担はかけたくないですし。仕方がないとやっていました。ほかに稼ぎ方がなかったんです」
全身のマッサージは週に1~2回程度。場所は当時メンバーが住んでいた寮か永田氏の自宅か作業部屋だった。マッサージを強要されるときは、いつも2人きり。約1時間マッサージをして、5000円程度が渡されたという。
2015年9月頃から翌春までの半年間続き、計10回以上は永田氏にマッサージをしたという。
●脱衣場での盗撮
虹コンは2018年1月7日、ワンマンライブを開いた。そこで、Aさんと同期メンバーの卒業セレモニーがあった。脱退するメンバーから「来て欲しい」と誘われた。
ライブ前日に上京することになり、永田氏に寮などどこかに泊まれるかとLINEで聞いた。永田氏からは「僕の家の客間が空いているから泊まっていいよ」と返事が来た。
「ホテルなり寮なりが提示されると思っていました。けれど、奥さんもお子さんもいらっしゃるし、なにかされることはないだろうと。また、もう脱退したメンバーに宿泊代は出せないと言われると思い、宿泊することにしました」
自宅は南青山の高級マンション。6日夜、ゲスト用のバスルームもあるが、永田氏からマスターバスルームを使うよう指示があった。
入ってみると、脱衣所にフック型の「隠しカメラ」が仕掛けられていることに気づいた。壁につけた粘着テープが剥がれたのか、カメラが落下したことで気づいたという。Aさんはカメラに映らないように着替えた。
7日もカメラはあった。前日とは場所が変わっていた。永田氏の自宅は、ガラス張りの浴室になっている。7日は脱衣所から浴室を映す位置になっており、どうしても全身が映ってしまう角度に変わっていたという。
「どうしたらいいかわかりませんでした。奥さんもいるし、私が言ったことによって夫婦間が悪くなったら…とも考えました。それで逆上されたら、きっと私のほうが悪者にされるのではと思ったので」
「親にも申し訳なくて言えなかったです。LINEで信頼できる友人に相談していました。一睡もできませんでした」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180526-00010002-bfj-ent
永田寛哲さん側はほぼ認めているようですが・・・・、最近多いセクハラ問題だけに、どのように芸能ニュースで取り上げられるかも注目ですね。
これで、永田寛哲さん側の会社の知名度が上がるのでは????今までこんな会社知らなかった?という人は多いので、一役有名人になってしまったような感じも否めませんねぇ?
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!