平昌オリンピックで本当の復活を果たした宮原知子選手、実は宮原知子選手に小さなころからスケートを親しんだ妹さんがいます。
そして、宮原知子選手の練習を支えてきたおばあちゃん(祖母)も宮原知子選手を支えてきました。
今回の平昌オリンピックでは、宮原知子選手は左股関節の疲労骨折のため2017年1月からフィギュアスケートから遠ざかっていました。
小さな頃からスケートと言う絆で結ばれていた、妹さんと宮原知子選手のおばあちゃん。今回の平昌での宮原知子選手の復帰を心からよろこんでいたでしょね。
それでは、そんな宮原知子選手を見てゆきたいと思います。
フィギュアスケートに関連する記事はこちら
目 次
宮原知子選手のプロフィール
代表国: 日本の旗 日本生年月日: 1998年3月26日(19歳)
出生地: 京都府
身長: 152 cm
コーチ: 濱田美栄、田村岳斗、キャシー・リード、岡本治子
元コーチ: 新野陽子
振付師: ローリー・ニコル、トム・ディクソン、ステファン・ランビエール
元振付師: ジェフリー・バトル、カタリナ・リンデン、宮本賢二
所属クラブ: 関西大学, 木下グループ
趣味 : 料理、読書、本気のウィンドウショッピング、好みの音楽を探す
練習時間(週) : 30~36時間
練習場所 : 大阪府高槻市
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮原知子
宮原知子選手のご両親の仕事は?
宮原知子選手の父親は宮原亮さんと言う名前で、現在は京都私立病院で呼吸器外科の部長さんです。
卒業大学は京都大学医学部を卒業しています。
そして、宮原知子選手の母親、宮原裕子さんも、同じ病院で医者としてはたらいていて、血液内科の副部長を今現在しています。
宮原知子選手がスケートを始めたきっかけは?
宮原知子選手、ご両親がお二人ともお医者様であったために、4才でご両親と共にアメリカのヒューストンへ移住しました。
たまたまご両親と行ったショッピングモール。
そこには、スケートリンクが併設されていて、ご両親から「やってみる?」とたずねられ、宮原知子選手は、もちろん「うん」と頷いたようですよ。
やってみたら、楽しくてスケートが好きになったという、宮原知子選手、そして、それからスケートの世界へ導かれたんですね!
宮原知子選手と祖母の強い絆はスケートだった?
宮原知子選手、日本に帰国したのは、小学校3年生(7歳)の時、そして京都に戻ってきました。
しかしながら、ご両親の仕事が二人とも医者と言うこともあり、留守がちだったようですね。
宮原知子選手には、京都府の山科に暮らす祖母の宮原淳子さん(80)がいます。
宮原知子選手が日本に帰国してからは、子供一人で通える距離にスケートリンクがあった訳ではなかったようですね。
両親の代わりに祖母の宮原淳子さんが宮原知子選手の小学校が終わると、スケートリンクへ連れて行ってたようです。
ステージママなみのステージグランマ!
可愛い孫のために!と手を繋いで電車で送り迎えをしていたのでしょうね。
祖母の宮原淳子さんは殆ど毎日のように、リュックにお弁当を詰めて電車で孫を迎えに行って、スケートリンクまで送り届けてたんですね。
なんと涙ぐましい!家族愛。
宮原知子選手はおばあちゃに連れてってもらったスケートリンクで、今現在のスケートのコーチ濱田美栄先生に出会い、濱田美栄コーチとの二人三脚がはじまります。
しかしながら、その当時の京都で宮原知子選手と濱田美栄コーチが連取をしていた醍醐スケートリンクは閉鎖状態に陥り、遠方の兵庫県や奈良、大阪などのスケートリンクで練習が行われることになって、
祖母の宮原淳子さんも自宅に帰宅するのは、殆ど9時過ぎだったと語っていました。
ある意味、スケートリンクが寺子屋?みたいな・・・・。そんな感じにも思えてきましたが、祖母の祖母の宮原淳子さんも嬉しい反面、大変だったんだろうなぁ~とご苦労を察しますね~。
宮原知子選手は小さな頃から、そこまで打ち込んで来たからこそ、実力共に今、輝ける日本で一番のスケート選手に育ったとも言えますねぇ。
宮原知子の妹(由紀子)もフィギュアスケートの選手ってホント?
宮原知子選手には由紀子さんと言う名前の妹さんがいますが、同じくフィギュアスケートをしていました。
しかしながら、途中から、体操の方へ転向したようです。
今はお姉さんの宮原知子選手と時折、フィギュアスケートを楽しんだりはするんでしょうね!きっと。
フィギュアスケートの選手生活はしてないようで、京都市中京区在住の市立京都御池中学校の1年生なんですね。
そして、性格はとっても明るくて話好き!一人でも喋ってるくらいだそうで、ある意味おとなしい宮原知子選手とは対象的な姉妹みたいですね。
きっと、フィギュアスケートをしていたのも祖母の宮原淳子さんが宮原姉妹が居る小学校へ迎えに行って、そのままスケートリンクへ連れていっていた、そんなお婆ちゃんと孫の姿が想像できますよね!
引用:http://img-cdn.jg.jugem.jp/6ce/357127/20091026_519320.jpg?_ga=2.140318899.1412512317.1521543274-1909428664.1521543274
姉妹は、自分の選択する道を選ぶ年齢になってきて、妹さんはフィギュアスケートよりも自分に合った体操の世界へ、道が別れた気がします。
宮原知子選手の平昌オリンピックへ出場の機に、妹さんが通う市立京都御池中学と御所南小学校が応援の旗をご両親へ贈ったそうです。
同じ京都市内、地元の応援の旗ですね!ご両親も喜ばれたようで、子どもたちの願いが宮原知子選手へ届けられました。素敵な写真ですね!
引用:http://www.sanspo.com/pyeongchang2018/photos/20180216/pye18021618350072-p1.html
両端が宮原知子選手のご両親です! 嬉しそうですね!
平昌冬季五輪フィギュアスケート女子代表の宮原知子(19)の地元・京都市で16日、小中学生らが応援メッセージを寄せ書きした国旗を宮原選手の両親に贈った。現地に応援に行くという父親で医師の亮さん(56)は「競技場で振って、風を起こして力づけたい」と笑顔を見せた。
|
宮原知子選手の祖父母の職業も気になる!
宮原知子選手のご両親は医者で有名ですが、祖父のおじいちゃんは、すでに95歳で3年前に亡くなられています。
生前は製薬会社で薬品の分析をする仕事に疲れていたようです。
ご両親が多忙すぎて殆ど一緒にいられない生活の中で、唯一、宮原知子選手の側に常にいてくれたのが、優しいおばあちゃんとおじいちゃんだったのでは?と想像します。
ある意味両親よりも強い絆であり、宮原知子選手の雰囲気が子供っぽくなく、大人びて見えるのも、そこにあるのかなぁ?と。
また、宮原知子選手の演技を見る目が変わってしまいますね!
人の強さ、しなやかさ・・・・そんなものを感じる宮原知子選手を応援したいですね!
フィギュアスケートに関連する記事はこちら
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!