2018年2月に開催する平昌オリンピック。この大舞台に出場が決まっているアスリートで、幼少期から一つの事を極めようとしている片山来夢選手。
わずか3歳でスノーボードの世界に入り、その後も片山来夢選手は道を極め続けます。
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片山来夢選手のプロフィール
引用: https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/12/08/kiji/20171208s00077000113000c.html
名前 片山来夢 (かたやまらいぶ)
生年月日 1995年5月4日(22歳)
出身地 静岡県焼津市
身長 165cm
体重 60kg
職業 プロスノーボーダー
スポンサー BURTON(バートン)
Gallum(ガリウム)
airwark(エアーウォーク)
所属 KUNIHIRO CLUB主な戦績 15年W杯カードローナ大会優勝
14年日本選手権優勝
16年日本選手権優勝
引用:https://www.jiji.com/jc/pyeongchang2018?s=athlete&id=JP053e1d671a20
スノーボードハーフパイプの選手である、片山来夢選手。いったいなぜ彼が、わずか3歳で夢を見つけたのか!?
片山来夢選手の半生を見ていきたいと思います。
片山来夢選手の経歴は!?
1998年、両親の影響もあってかスノーボードに強い興味を持った片山来夢選手。このときわずか、3歳!!好奇心はやはり大事なのでしょうか!?
しかし、静岡県焼津市はスノーボードの環境に恵まれませんでした。
そこで片山来夢選手がとった行動が・・・
冬季のみ岐阜で暮らすことです。
冬季の岐阜は山間部だと雪が積もります。
そんな中に片山来夢選手は身を置き練習に励むなんて、思いの強さが伝わってきますし、誰でも真似できることではありませんね!!
この生活を始めたのが、片山来夢選手が5歳の時。
そしてスノーボードに懸ける思いがさらに強まります。
2003年にはカナダ・ウィスラーにスノーボード留学を決めました。当時、片山来夢選手は8歳でした。
この留学で片山来夢選手は、ある人と出会い、さらなる刺激を受けたようです。
ソルトレイクシティ五輪に出場した橋本通代選手。
自分の滑りを追求し、“世界に通用する”トップレベルのスノーボーダーになった選手です。
そんな人と出会えたら、吸収することばかりで刺激を受けないわけないですよね。
そして2008年に小学校卒業。
片山来夢選手の経歴を知ると、とても小学生が経験するようなことではないと思えてきてしまいます。
実は愛媛に国内最大級ゲレンデのアクロス重信という人口のゲレンデがあり、そこへスポーツ留学?と称して強化トレーニングへ行っています。
一度、海外に留学しているので、国内の留学など容易なものだったでしょうね。
そして晴れて2014年、片山来夢選手が19歳の時、スノーボーダーのプロ資格を得ます。
2018年平昌オリンピック出場ですから、プロになってからの4年間はとてつもない努力をしてきたことがうかがえます。
平昌オリンピックでの片山来夢選手の活躍に期待してしまいますね。
片山来夢選手に兄弟はいるの!?
片山来夢選手の兄弟については色々収集してみましたが、残念んがら情報はありませんでした・・・
平昌オリンピックでさらに注目されることになったら明らかになりそうですね!!楽しみです。
片山来夢選手のスポンサーは!?
『BURTON』、『Gallum』、『airwalk』と契約する片山来夢選手。
この3社だけでなく、
平昌オリンピック直前、片山来夢選手の出身地に拠点を置く、『戸塚グループ』とも契約しました。
これには代表取締役の戸塚義人さんのこんな裏話があるそうです・・・
来夢君のお父さんが社員と言う縁があり、純粋にできることをやろうという思いがあった。
引用:http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20170427-OHT1T50272.html
まとめ
様々な人たちからエールを送られている片山来夢選手。
もう、すでにスノーボードは日本勢の活躍と強さは世界で認められているところです。
平昌オリンピックでも日本勢のメダル独占!!を期待したいです!
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。