1月5日、日本のジャーナリスト(ツーリストライター)で、「兼高かおる世界の旅」(TBS系)の旅先案内人でお馴染みだった兼高かおるさんがお亡くなりになりました。
兼高かおるさん、享年90歳。その美貌と知性を持ち合わせ、兼高かおるさんが150カ国を巡る旅は、海外旅行、そのものが身近でなかった当時の日本人を一揆に魅了して、まるでお茶の間の視聴者を海外旅行へ連れて行ってくれたかのように、魔法にかけてくれる美人の魔女さん、人気のロングラン番組でした。
兼高かおるさんは、今で言う「世界の果まで行ってQ」のような世界の旅番組の先駆けとなった人で、出川さんとはちょっと違いますが、その当時のナレーターを担当した芥川隆行さんとの掛け合いもなんとも言えず、おじいちゃんやおばあちゃん、孫が一緒になって、日曜日の朝に番組を見て心に残っている年代の方も多いのではと思います。
兼
そんな兼高かおるさん、人気番組の「兼高かおる世界の旅」では超美人の旅のリポーターを担っていました。若い頃の様子や、経歴、きっと立派ですよね?そして夫(旦那)や子供、過去に出演の番組も調査してみました!
目 次
兼高かおるのプロフィール
https://twitter.com/rollei64s/status/765125195749130240
兼高 かおる(かねたか かおる)
生誕 兼高ローズ
1928年2月29日
出生地 兵庫県神戸市
死没 2019年1月5日(90歳没)
在住 東京都港区
出身校 ロサンゼルス市立大学
職業 ジャーナリスト・レポーター
ナレーター・プロデューサー
ディレクター
著名な実績 1958年:世界早回り
73時間9分35秒の新記録
1971年:南極点到達
一般女性初
テレビ番組 『兼高かおる世界の旅』(1959年 – 1990年)
受賞
1967年:文化庁芸術選奨新人賞
1980年:日本女性放送者懇談会賞
1985年:外務大臣表彰
1990年:菊池寛賞
1991年:文化庁芸術選奨文部大臣賞
1991年:紫綬褒章
兼高かおるの経歴
兼高かおるさん、実は本名を兼高ローズ(かねたかローズ)さんといいます。
1928年2月29日のうまれで、兵庫県神戸市が出生地になります。
育ったのは東京と言うことで、高校は東京の旗の台にある香蘭女学校、キリスト教の学校ですね、この学校を1946年に卒業しました。
1954年ロサンゼルス私立大学に入学、この頃、海外留学ってとても珍しかったのでは?と思うのですが、兼高かおるさんは留学しに海外へ旅立っていますので、きっと家庭が裕福な家庭だったのではないかと思います。
そして、間もなく、ジャーナリストになり、ジャパン・タイムスなどでお仕事するようになります。
語学が堪能であることから海外での取材活動が多く、150カ国以上を訪れて、現地の新鮮な情報をメディアで伝えていました。その距離、なんと地球を180周という距離になります。
ロングランの「兼高かおるの世界の旅は1959年から1990年までおおよそ31年もの間、放映された、超長寿番組となりました。
兼高かおるの若い頃(画像)がハーフ顔で美人過ぎる!
兼高かおるさん、堀の深いハーフ顔なのですが、それもそのハズ・・・・
兼高かおるさんの、母親が日本人、そして父親がインド人と言うことで、本当にしてみれば、正真正銘のハーフ。
ハーフタレント、そしてハーフジャーナリストだったんですね。
インドのサリーなんか着たら、とっても似合いそうな雰囲気を持っていますよね?
ハーフモデルそのままで、本当にお美しい~!!と言う言葉が似合う兼高かおるさん。
1950年代でしょうか、兼高かおるさんの若い頃の写真です。「兼高かおる世界の旅」を日曜の思い出として覚えている人も多いでしょう。現在もご健在のようです。 pic.twitter.com/fGqrsWbrWx
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) June 13, 2017
兼高かおる(ローズ・カネタカ)の水着姿。とてもきれい。日本カメラ臨時増刊 女性ポートレートポーズ集(1956年)より。 pic.twitter.com/ZKQ86OKhOI
— 篠崎真紀 (@shinozakimaki) January 9, 2019
引用:https://www.jprime.jp/articles/-/9151?page=4
1958年、「世界早回り」の記録を作った時の兼高かおるさん。
正面顔は更にキュートですね!
引用:https://www.sankei.com/life/photos/170207/lif1702070009-p1.html
ケネディ大統領とも、ご対面!!
そして、こちらが、ほんのちょっと前、徹子の部屋でトークをご披露。
😆あぁ〜🎵懐かしい🎵小学校時代に見ていた記憶が朧気にあるけど兼高かおるさん変わらずお綺麗だ🎵
— 徘徊 タクドラ メモ (@9983minoru) February 9, 2017
#黒柳徹子 、香蘭女学校の先輩・ #兼高かおる さんの“伝説”明かす(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース https://t.co/JyHzTMugfn #Yahooニュース pic.twitter.com/c6N0VcaRnl
兼高かおるの夫・子供やも調査!!
こんなにも美人だった兼高かおるさん、きっと若い頃は男性がほってほかなかったのでは?
それぐらいに知性あふれてて、魅力的な女性、当時の日本はまだまだ保守的だったので、とても自由で独立心の強い女性のハートを射止めた男性が気になりますね?
兼高かおるさん、夫や恋人の存在をいろいろ調べてみましたが、どうやら独身だったようです。
インタビューで以下のように答えていました。
「独身なのは『世界の旅』で青春をすべて使って
しまいましたから。
でもね、“わが青春に悔いなし”です(笑)」
海外を飛び回る仕事をしながらもさまざまなロマンスは国内問わず、海外でもあったと思うのですが・・・・・。
仕事に没頭するあまり、恋に飛び込んで、世界の旅を引退して、家庭に入る事は考えられなかったのでしょうね?
そして、そんな兼高かおるさんを本当の意味で仕事を続ける女性を支えて一緒に生きていく男性との出会いもなかなか無かったのかもしれません。
31年もの長い月日を世界中を飛び回る兼高かおるさん、全く悔いは残っていないようですよ。
独身だったのでお子さんも、いらっしゃらないとの情報です。え?隠し子?考えづらいですね!
出演番組「兼高かおる世界の旅」異例の31年間の長寿番組!!
もともと海外、アメリカで大学生活を送り、猛勉強をしていた兼高かおるさん、帰国してからはジャーナリストの道にすすみます。
丁度、昭和33年(1958年)当時はまだまだ世界旅行が珍しい時代でした。
その当初、アメリカ人、ジョセフ・カボリー氏が早回り世界一周の旅で89時間18分37秒の記録を出したことが話題となりました。
そんな折、スカンジナビア航空が「東京とコペンハーゲンを結ぶ北回り航路」を就航。
兼高かおるさんはこの航路を上手く利用して、北のコペンハーゲンかららヨーロッパ数か国を回り、アンカレジ経由で日本到着73時間9分35秒記録を樹立して、ジョセフ・カボリー氏の記録を10時間以上も上回って新記録を打ち出しました。
そして、この『世界の旅』が発端で、ラジオ東京(現TBS)から声がかかり、海外に住む日本人をインタビューするお仕事の依頼をされたのが、最初の一歩。
その時には、兼高かおるさんが日本語を話すことができるかどうか?の方がスタッフの心配事だったようです。
その後、大阪万博の時に当時のシンボルマークを作り上げた芸術家の岡本太郎氏をインタビューしたことが話題となり、半年後に海外取材番組、『世界飛び歩き』の話が舞い込み、この番組が後の『兼高かおる世界の旅』となりました。
引用:https://middle-edge.jp/articles/i6KYO
こちらがその当時の画像ですね!こんなオープニングだったんですね。
引用:
もともと、この番組のテーマ曲はビィクターヤングさんと言う方の曲だったようです。
そして、兼高かおるさんの当時を一緒に体現してみましょう。オープニングの音楽と兼高かおる歴史博物館で世界を廻ってきた記録を覗いてみましょう!
引用:兼高かおる旅の史料館
兼高かおる世界の旅は進行役が芥川隆行さんでした。二人の掛け合いはこんな感じだったんですね。
#兼高かおる さん合掌 pic.twitter.com/pgtcTdBoO5
— 云々降車(*´ `)【日本は「報」治国家】 (@sao954) 2019年1月9日
兼高かおるさんへの世間の声
兼高かおる世界の旅は、毎週日曜日の朝の楽しみだったのに。残念だなぁご冥福をお祈り致します。
— 川添 恭行 (@HBriver) January 9, 2019
かっこよかったですねぇ。兼高かおるさん。 https://t.co/bv56mfaTW2
— 田端信太郎@ 「これからのお金の教科書」予約開始! (@tabbata) January 9, 2019
毎週日曜日朝の番組「兼高かおる世界の旅」は楽しみだったな。特に芥川隆行とのやりとりが軽妙で楽しかった。
— 臭豆腐(クサドウフ) (@hirosz2000) January 9, 2019
兼高かおるさん、亡くなったんですね。
— い ら 丸 (@iratsukimax) January 9, 2019
幼い頃、我が家の日曜日は
「兼高かおる世界の旅」で始まっていたなあ。
訪れた街の素晴らしさを上品かつチャーミングに語る様に憧れたなあ。あの番組で、海外に行ってみたいと夢見たなあ。
あと、スポンサーがサンヨーで。
…いい時代だったなあ。
パンアメリカン航空を子供ながらに「パンナム」と呼んじゃったりロゴタイプが目に焼き付いたものです。当時の海外旅行を紹介するテレビ番組やCMのスポンサーとして代名詞的な存在だったKLMオランダ航空と並んで有名だったことが思い出される。その立役者の逝去に合掌。 #兼高かおる #パンナム pic.twitter.com/t9xdt2DjyI
— HOW HOW 駅員 / 増井慎吾 (@How2_Ekiin) January 9, 2019
まとめ
日本人初、女性のジャーナリストだった兼高かおるさん。
31年もの間、「兼高かおる世界の旅」で世界中を旅してレポートをしていたこと。
訪れた国は150カ国にのぼります。
また、横浜の「人形の家」の初代の館長さんでもあります。